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陰翳明朝體の制作経緯について

陰翳明朝體は伝統的な古典型の明朝体で、約一年ほどの制作期間を経て二〇一四年に発表し、未完の試作で製品化はしていない。制作文字数は漢字が約二〇〇字、仮名はひらがな・カタカナともに全て、振り仮名に使うルビ用仮名を必要数と、英数字は約二〇字、他約物が少しで、見本帳を組むための字種のみを揃えている。

 

主に昔の古い印刷物から影響を受けて、理想的なクラシックスタイルの明朝体の制作を試みたもので、秀英細明朝や岩田細明朝、そして精興社明朝などに範をとっている。それぞれの書体の良いと感じる要素を抽出し、それらの要素を上手く一つにまとめていくという考え方で制作を行った。例えば秀英細明朝であればその王道然とした個々の文字のプロポーションとその組まれた時の調子であり、小さい仮名に大きく堂々と張った漢字による版面は風格を感じさせ、二大潮流と評される築地体と並び、より現代の明朝体の姿形に色濃く影響を残した原形性を感じた。また岩田細明朝は古典的で一見未整理な独特の癖であり、しかしその拙さや無骨さが言葉に感傷性や郷愁的な意味を付与し、読み手の心に深く届く媒介力を感じた。そして精興社明朝は揺蕩うような線質の柔らかさが特徴であり、揺らぎやかしぎの中に女手に通じる仮名の伝統美を感じた。

以下は設計上の解説になるが、まずは字面について。この書体は縦組の本文組用として最適化しているので、漢字を大きく仮名を小振りに設定している。数値的には全角のボディを一〇〇%とした場合、漢字は九二%、平仮名が八二%、片仮名が七八%程度で、特に片仮名は小さめに設定されており、より古典的な組版の雰囲気を醸成している。

次に太さについて。この書体は本文書体としては少しだけ太くつくられており、特に横線は明朝体の場合細くなるのが一般的だが、多少太くしている。昔の金属活字の頃の印刷物は現代のそれとは違いインクが印圧で少し太めに印刷されており、それが安定感に繋がって味わいがあり心地良いと感じたことに由来している。線切れがなく黒みが担保されているので、安心感のある版面に繋がっている。

次はデザインについて。漢字の特徴は漢字らしく硬質な印象で、エレメントは鋭く少し強くはっきりしている。現代的な明朝体では取り払われることの多い横画と接する部分の縦画の起筆の瘤や、横画の下から伸びる縦画の起筆の瘤などを意図的に再現している。フトコロ(文字の内側の空間)は少し狭く引き締めてスマートに、また払いは曲がりが深く、長めで伸びやかになっている。骨格は全て正方形の中に同じ大きさに整えるのではなく、個々の文字の形を尊重しながら、また画数の多いものや少ないものに比例して大小の差を出している。昔の活字がそうであったように、一部の縦画は必要に応じて若干傾きを持たせ、錯視の調整や有機的な印象を持たせている。一方平仮名は、仮名らしく小振りで柔らかい印象で、少し癖を感じさせながらゆっくりとした運筆で書いている。叙情性を体現するようにうねりや粘りを多少意識しながら、角度を持って強めに入る起筆から送筆、そして収筆へと所々に筆脈を取り入れながら自然な流れで書き、右回りのまわしは曲がりが深く長めになっている。片仮名は漢字の一部から成立している起源を持つので硬質さを意識しながら、また漢文を読む際の楔の役割に由来するように、角度を持って強めに入る起筆から、右上から左下への払いは直線的で速度を持って書いている。仮名は漢字と同様に個々の文字らしさを大切にしながら、縦長の文字や扁平の文字、また大きさの大小などの変化をつけ、息遣いやリズムを持たせている。加えて句読点や中黒は大きめに設定して文中で強調して見えるようにし、またカギ括弧は深いものを採用し、いずれも古典的な組版に寄与するように意識した。ルビ用仮名は単純に清音を縮小するだけではなく、小さく印字された時に調和して見えるように太めに設定し、潰れを回避するためにフトコロを多少広め、濁点・半濁点を視認し易いように若干拡大させている。

 

またこの書体は「生と向き合うタイポグラフィ」という言葉を主題に置いている。主に人生における苦悩や挫折、孤独などを詠った文学作品を組むことを標榜し、心に寄り添うように、特に生きづらさを感じているような人々へ届けたいという思いで制作に至った。組見本に選択した小説の太宰治著『人間失格』に象徴されるような、絶望や人間の業などを描くことによって、生きる支えや、弱さを抱える人々の背中を後押ししたり、精神的な救いになるような作品に見合う書体を意図した。そのきっかけは過去の読書体験や、二〇一一年の東日本大震災で感じた個人的な思いであったりする。震災の際には、日々メディアを通して目にする悲惨な自然災害と人的被害を前にして、私は人としても勿論だがものづくりをしていくことの指針が揺らぎ、書体をつくるという仕事に対する意味を見い出せなくなった経験をした。書体はテレビや新聞などを通して、現場の状況や情報をニュースとして人々に伝え、その役割を坦々と果たしていたが、それ以上でもそれ以下でもなく、救援となる直接的な物資である衣料や食料に代わるまでには至らないにしろ、その後の復興の一助となるような意味での精神的な部分で何か大きなものが欠落しているように感じてしまった。媒介として客観性に徹することが書体の役割であることは承知していたことであるし、むしろそれこそが魅力の一つであるとの思いで仕事を捉えていたはずだが、しかしながらあまりにも非情な現実を前にして創作意欲が湧くはずもなく、全くものをつくる気になれなくなってしまった。丁度この頃は前作のにほんの明朝体の制作途中であったが、つくる手が止まりしばらく再開することができず、時を置いてから気を改めて制作を再開したが、この時抱いた感情はずっと据え置きになっていた。自分の思い描いていた理想に何の意味や価値があるのだろうかということを問い直されるような体験になった。したがって単に情報を伝えるということを越えて目的や意義を自分なりに見出したいと思い、あのような切実で深刻な場面にも少しでも対峙できるようなものづくりをしてみたいと思うようになった。たかが書体ではあるけれども、せめて自分の感じた無力感に応えられるようなものを作りたいという思いが、制作の一つの動機付けになっている。

また過去の読書体験であるが、私を含め誰しもが少なからず本を読んで救われたという経験が一度ぐらいはあるのではないだろうか。現代の作家は勿論のこと、全く時代の異なる過去を生きた著者と考えや感じ方を共有できた時の喜びや感動というのは本の魅力の一つであって、特にこの書体の主題で言うと、自分が抱えている悩みであったり苦しみが普遍的な感情である事に気付かされた時、自分は一人ではないんだと知り、とても救われた気持ちになるということがあると思う。太宰の著作を読んで、今まで誰にも言えなかった個人的な感情が綴られていて自分と一緒だと驚いたり、これは自分のことが書かれているのではないかというような錯覚や感想を持った人もきっととても多いと思う。だから本を読むという行為は著者や登場人物と対話したり繋がる行為でもあって、大袈裟に言えば本やタイポグラフィには人を救う力もあると言えるのではないかと感じている。救うのは言うまでもなく言葉や文章であって、文字が人を救えるなどとは思っていないが、それでも時として活字を眺めていると、言葉と渾然一体となってほろっと目頭が熱くなる感覚や胸の奥が熱くなる感覚が個人的にはあって、大抵そういう場合には古典的な書体であることが多いのだけれど、したがってそのように心の琴線に触れるような、真に迫るような書体がつくりたいと考えた。

以上のような震災や読書体験による個人的な思いや感想のようなものは、観念的で感情的な問題であり、実際に書体に落とし込む際の造形化への論理的な説明はあまり付かず、そういう思いだったとしか言えない。正直なところ反映されているかどうかもわからないし、おそらく単なるきっかけに過ぎなかったのかもしれない。書体は作者の手を離れてあまねく人々に届き、想定の及ばない無数の言葉や文章を綴る可能性があるため、以上のような私的な主題を設定することが好ましいのか、あるいは許されるのかは定かではない。胸の内にとどめておけばいいことなのかもしれない。

 

書体名は谷崎潤一郎の著書『陰翳礼賛』 から借りた。この本は日本文化の発展を陰翳から読み解いた随筆で、その文脈に共感し、そこに文字の持つ陰翳と精神的な意味のそれとを重ね合わせた。